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税理士試験奮闘記1~4 [税理士試験]

No1

このブログでは、ダンス関係を中心に書いて行こうと思っていたのですが、9月が近づいて来年の税理士試験受験セミナーの案内が届いたことをきっかけとして、私の奮闘記をご紹介するのも悪くないと思って、始めることにします。

合格科目は S57年簿記論、S59年財務諸表論、H2年所得税法、H18年消費税法です。お気づきのように、最初に簿記論をとってから、既に25年も経っています。長年受験をしている方には、共に苦労を分かち合いたいと思いますし、諦めなければ何時かは合格できるという励ましになればと思います。

しかし、そう簡単に取れる資格でもないということも、厳しい現実として受け止める必要があります。 社会人として仕事を持ち、ましてや家族がいるということになると、勉強の時間が限られてくるわけですから、ただ、だらだらと続けても合格は覚束ないこと間違いはありません。

私は確率理論を知りませんけれども、税法科目は合格率が10%前後ですから、最終合格率はせいぜい5%前後というところなのでしょう。 税理士を目指す100人の人のうち95人は退場してしまうのですから、5%に必ず入るという強い意志と覚悟が必要だということです。

最善の努力をしてみたけれども合格できないという人は、早く断念した方が良いです。受験勉強は半端な時間ではありませんし、その時間が無駄になるようであれば違う道を目指した方が徳だと思うのです。

さて、本題に移っていきましょう。

私は、実は最初から税理士試験を目指した訳ではありません。 高校を卒業後、一年間浪人生活をしましたが大学に行くことができず、これからどうやって生きていこうかと考えていたところ、丁度その年は大阪万博の年で航空会社が事業拡大に走っていた頃で、空港現場の中途採用募集があったことから、かなりの倍率であった試験をパスして某航空会社に勤めることになりました。

なかなか、格好いいですね。

元来飛行機が好きでしたから、この仕事に就けたことで大満足でした。 しかし、何年か経つと40才ぐらいになった時に何をしているのかと、ふと不安になったのです。 空港の現場の仕事は毎日が完結で、その日が終わればケセラセラ。 でも大した職務経験も知識も積み上げる事ができないのです。

高卒の私には武器がない。 

そこで、自分への投資として簿記と英語とコンピュータを勉強しようと決めました。手始めが簿記だったのです。普通高校出身だった私がなんで簿記を選択したのか全然覚えていませんが、多分通信教育で始められるものをと思ったのでしょう。通信教育で簿記3級から始めました。 合格するのに確か簿記3級は3ヶ月、簿記2級は6ヶ月掛かったと思います。

記憶が定かでないのですが、当時簿記1級の通信教育はなかったと思うのです。 いずれにせよ、ここから独学が始まりました。テキストを買ってきて問題集を解いて、会計学については財務諸表論の本を読んだと思います。 日商簿記1級に合格するのに2年掛かりました。

空港の現場勤めが9年になっていましたから、営業職への配転を希望する、将来は財務関係の仕事に就きたいとの希望を出すと、1級を取ったこともあったのでしょうが、経理部の資金運用を取り扱う部署にに配属されることになったのです。昭和54年3月の事でした。

この時は、まだまだ税理士試験など考えてもいませんでした。

(次回につづく)

NO2

経理部に異動してから1年間は、仕事に慣れるのに必死でした。 なにせ昨日まで随分長いこと現場でその日暮らしをしてきた者にとって、方針や企画を立案するということに考えも及びませんから、それはそれは面食らう毎日だったのです。

経理部所属といっても、資金を取り扱う担当ですからいわゆる経理知識は余り必要ないのです。 そうして一年チョットが過ぎました。

それから、経理部の中で会計課に移りました。 ここは財務諸表を作成するところです。といっても、移って暫くは固定資産管理の担当でしたから、まだメインの仕事はしていません。 しかしこのころから、決算書の一部を作成するようになりました。

この辺から、本格的に制度会計の知識が業務の上でも必要になってきました。もちろん日商簿記の1級を取っていたわけですからそれなりの知識はあったわけですが、きちんと勉強し直そうと思ったのです。

そして、勉強できたかどうかの判定基準として税理士試験に挑戦してみようと考えたのです。 昭和56年の秋ぐらいだったと思います。

今はどうか知りませんが、経理部というところは、決算を行う3月から財務諸表を提出する6月まで死ぬほど忙しい時期です。 ここの所で十分な勉強時間が取れないのは、なかなか厳しいと思うのですが、昭和57年、簿記と財表を受けて、簿記に合格することができました。

日商1級と簿記論のレベルはそれほど違わなかったように思います。 この時も全く独学でした。 問題集を繰り返し繰り返し解いた覚えがあります。

簿記論は理屈ではない。 以下に練習問題をこなしたかが合否の分かれ目だと思います。 といっても25年も前のことですから当を得ているのかどうか分かりません。いずれにせよ解きまくりました。

解き終わったページの下の方にマーカーで印を付けていくのです。二回目に解き終わるとつけたマーカーの上に違う色でマークしていきます。 そうして、ここまでやったんだ。ということを励みに勉強しました。

こうやって、税理士試験の受験生活が始まったのです。

(次回につづく)

NO3

人間にとって長期にわたって努力し続けることは相当に苦痛だと思うのです。しかし、一年目の受験が上手く行って私は意気揚々でした。まだまだこの頃は、ある意味で言えば怖いもの知らずでした。

会計科目を合格するのに大変だった覚えがないのです。でも、2年目は合格していません。もっと後になると受験しなかった年もかなりありますが、最初の方は毎年受験しているはずです。

1級の力を過信したのでしょうか? 1科目めを比較的簡単にパスしたので、合格レベルを低く見てしまったのでしょうか?

1年目に2科目も勉強してちょっと疲れてしまい、一休みしたのかもしれません。

ただ、試験委員の書いた財務諸表論の本がぼろぼろになっていたのだけは覚えています。きっと2年間で読み込んだのでしょうね。 簿記の計算問題集と同様、繰り返し繰り返し読んでいます。

受験専門校の理論テキストや計算問題集も売り出されてはいなかったと思います。市販されている理論問題集が1冊か2冊ぐらいしかなくて、あとは税経セミナーとか会計人コースの問題を解いていたんだと思います。

今も昔も合格率はほとんど変わっていないと思いますが、試験のレベルは昔の方が易しかったのでしょうね。独学でも何とかなったのですから。

独学で大変なのは、回り道をしてしまうことです。 どこが重要ポイントで、どの範囲までやればいいのかさっぱり分からないのですから。

企業会計原則は当然、連続意見書、計算書類規則、財表基準など相当に読み込んだ記憶があります。

ウィークデイは仕事が忙しいので、なかなか時間を取ることが難しいのですが、夜10時までに帰れば30分でも勉強しようと心がけました。 体力も集中力もありましたし、土日は1日12時間くらい勉強するもの平気でした。

今ではわたしのプライベートな時間の大半を占める社交ダンスの活動も、この時はまだ始めたばかりでしたし工夫すればなんとか勉強時間を確保することができたのです。

当時の記録が残っていませんからはっきりとしたことは分かりませんが、苦労した覚えがない割には結構勉強していたのかもしれません。

この時はまだ税理士になることが目的ではなく、勉強できたかできなかったのかの判定基準としての試験だったからです。いわば趣味みたいなものでしたから苦痛を感じることなくやれたのかも知れません。

そんなこんなで、受験生活の2年目と3年目が過ぎていきました。

(次回に続く)

NO4

結果としては、S59年に財務諸表を合格しているのですが、今思えばとても不思議な気がします。

当初固定資産管理から始まった会計課の職務も57年度、つまり昭和58年3月期の法人税の申告書は私が作成しています。 ということは申告書を書く位の勉強は職務の中で行ったということなのでしょう。

最終的には税理士に点検をしてもらうのですが、会計課職務歴わずか3年、しかもその内半分は固定資産管理を担当していた人間に申告書を書かせるのですから、今思えば随分乱暴なことをしていましたね、この会社は。

でも、社費で税務協会かなんかが主催する夜間の税務講座に通わせて貰った記憶がありますから、それなりのサポートもあったんだと思います。 夜6時過ぎから2時間くらいで20回から30回の講座だったように思います。 講義が終わってから事務所に戻って仕事をすることもしょっちゅうでした。

経理部最後の年となる昭和59年は経理部時代でも一番に忙しい年でした。当時の私の担当は税務と英文財務諸表の作成がメインでした。

通常の決算・申告作業に加え、7月一杯まで英文財務諸表の作成作業をしました。 毎晩のように夜中に帰って、休日出勤こそ無かったものの、休みの日によく居眠っていたのを覚えています。

それでも2年間の蓄積があったからなのでしょうか。見事合格していました。こんなに忙しかった年なのにと思う反面、忙しかったからこそ、少しの時間も惜しんで勉強したのだと思います。

仕事が滅茶苦茶忙しかったのは覚えていますが、勉強した記憶がないのです。きっと細切れの勉強スタイルだったので印象がないのでしょう。

仕事を持ちながら、受験する厳しさを味わうのはもっと後の事になりますが、仕事をしながら合格するためには自分の確保できる勉強時間の範囲内で受験するということなのでしょう。

資格を取りたい時は、気持ちがはやってついつい複数科目を受験したくなるのですが、この時は、財表一本だけだったので何とかなったのだと思います。

この年の秋、飛行機の部品の会計処理をする部署に異動しました。ここから暫く受験活動が停滞することになるのです。

(次回につづく)


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