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2010/01/06 テストジャンパー [雑感]

新しい年が始動しました。 寅年。 激動の年であっても良い方向に向かって欲しいですね。

テレビで1998年長野オリンピックでの団体ジャンプにおいて、テストジャンパーの果たした功績について放送していました。

その前のリレハンメルの冬季大会で、ほぼ手中にしていた金メダルを原田選手の失敗ジャンプで銀メダルに終わったという過去があって、地元長野ではどうしても勝ちたい、勝たなければいけないという状況だったようです。

当日はかなりの雪。 一回目のジャンプが終わったところで日本は4位でした。 雪・風が激しくなり中止もあり得る状況だったそうです。 このままでは、日本は4位に終わってしまう。 

競技の続行・中止を判定するジュリーミーティングの決定はテストジャンプで判断するということになったようです。

長野オリンピックのテストジャンパーは25人だったそうですね。 そんなにも居るのですね。 その中にリレハンメルで銀メダルに終わり、長野には出場できなかった西方選手も居たそうです。 番組の中でも紹介されていましたが、テストジャンパーといっても日本では一流の選手ですから、当初はオリンピックに出場できなかった事への思いで心中はかなり複雑だったようです。

なんで俺がこんな事をやらなければいけないのだという気持ちも当然あったでしょう。


しかし、テストジャンプの結果が試合の行方を左右することになったとき、西方選手は「原田選手をこのままおわらせてはいけない」という思いで一杯だったそうです。 そしてテストジャンパー全員が同じ思いでテストジャンプを飛んだそうです。

テストジャンプの最初の方は、雪が積もって滑り難くなった助走路を踏み固めるために飛ぶそうですね。 踏み固めるにはやはり多くの人数が必要なのですね。 テストジャンパーの人は思ったそうです。 「テストジャンプを失敗してはいけない。 転倒でもすれば中止の判定が下ってしまう。 安定した飛形を保つことだけを考えよう」

西方選手のテストジャンプはK点120mを超える124m。 拍手も歓声もないジャンプだったそうです。 しかし、このジャンプで競技が可能とされ、続行が決定されたそうです。 そして、見事に金メダルを獲得しました。

西方選手がテストジャンプを飛んで、競技続行が決定された話は当時伝えられたので覚えています。 しかし、そんな簡単な話では無かったのですね。 決して表舞台には立たないテストジャンパーと表彰台の頂点に立つ選手はこんなにもすばらしい絆で結ばれていたのですね。

世界の頂点に立つために皆で一致団結。 これは何もスポーツの世界だけの話ではありませんね





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