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母の死 [雑感]

前回から1ヶ月が経ってしまいました。 その間母が死去し、確定申告に追われ、インドにダンスのワークショップのお手伝いにいっていたので、ブログをサボってしまいました。


今日は母の死についてお話ししたいと思います。


出張中の3月20日の夜、母が倒れて緊急手術になりそうだと電話があって、飛んで帰りました。


母の病気は解離性大動脈瘤で、以前にもこの病歴があり血管が硬化していることがわかっていて、再発したときは助からないと思っていましたから、取りあえず病院に運ばれて手術してくれる病院を探していると連絡を受けていたので、東京に帰り着くまでその後どうなっているのか気になっていました。


家の近くでは手術ができる病院がなくて、車で一時間以上かかるところに入院したということでした。 病院にたどり着くと手術は既に始まっていて、朝まで7時間以上もかかりました。 上行大動脈が腫れ上がっていて血管が透き通るほどに薄くなっていたそうで、この部分を人工血管に置き換える手術をしました。 でも実際に血管が破れたところはわからなかったそうです。 


しかし、倒れた場所がなじみの薬局で、母の持病をわかっている薬剤師さんが救急車を手配してくれて、近くの市民病院に搬送されたそうです。 そこでは手術の体制がとれなくて担当医の出身大学の付属病院を何とか手配してくれたそうです。 もしICUが空いていなければ手術もできませんでした。 そういった意味では本当に幸運でした。


術後の後遺症も心配されましたが、麻酔が覚めて麻痺も梗塞も起こっていないことがわかって快方に向かうように思えました。 とにかく生き延びていたことが私にとっては幸せでした


ICUで一日経ち、二日経ち家に帰るためにリハビリしなければね、なんて話していました。  心拍数が高くなったりして少しトラブルはありましたが、一般病棟に移ることになりました。 前回腹部大動脈瘤を手術したときよりも母の気力が充実しているように思えました。


それから一週間足らずで逝ってしまうとはとても思えませんでした。



術後のCT検査で、下行大動脈の径が大きくなっていて、今のところリミット以下だが観察が必要で、制限を超えたときにどうするかが問題でした。 83歳という年齢を考えるとこれ以上の手術が可能かどうか。 家に帰ると一人の時間を過ごす時間もあり、そんなときに発症してしまったらどうしようということなども考えましたが、 とにかく家に帰るためのリハビリを進めてもらっていたところでした。


別れは突然でした。 3月4日の朝8時、病院から容態が急変したので至急来てほしいとの電話がありました。とるものも取りあえず駆けつけましたが、既に心配は停止しており、人工呼吸器のツー-カツン、ツー-カツンという音だけが虚しく響いていました。



親一人子一人でがんばってきましたから、私が独り立ちするまでは母は本当に苦労しました。 晩年は落ち着いた生活で幸せだったのではないかと思います。 しかし、いつかはこういう日が来るとわかっていても、やはり心に穴が空いています。


葬式は、親族と親しかったお友達だけを呼んで行いました。 ひ孫が無邪気に「ばーば、ねんね」と言っていました。 こうやって人間の世代が移り変わっていくことを実感しました。 









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