SSブログ

インド紀行-その2 [ダンスの話]

空港に夕方着きました。 JAL便で先に行ったコーチャーとインド在住の日本人で今回の企画をしたFさん、それにインドでサルサやロックンロールを教えているインド人のNさんが出迎えてくれました。 花束まで渡してくれて周りに居る人が何事?と見ているのはちょっと気恥ずかしい思いでした。


夕食をということでデリーの街に行くことになりましたが、インドでも車の渋滞がひどくそれも3Cars in 2Laneという感じで走るものですから、日本の運転技術ではとても怖くて乗れたものではありません。 タタ自動車が片側のドアミラーがないものを売るということがニュースになっていましたが、日本の車でもドアミラーを取り外しているものもありますし、ミラーを見て運転しているかどうかも怪しいのです。 


ともかく、小一時間ほどして街に着きました。 うーん。 説明するのが難しいのですが、間口2mほどのいろいろな店が建ち並ぶ商店街です。 アメ横をもっとぐちゃぐちゃにしたような感じです。 照明があかあかとついているわけではないので、通りは暗いのです。 それにあちこちに犬が丸まって寝そべっています。 インドの犬は狂犬病の恐れがあるということで、誤って踏みつけてかまれたのではたまりませんから。 そっと行き過ぎます。


犬好きのパートナーもさすがに手を出しませんでした。 それにしても蛇のとぐろのように丸まっているのがおかしかったです。 


食事はインド料理で一週間を過ごすと思っていたのですが、気を利かせてくれたのでしょうかいったのはイタリア料理店でした。ピザとかパスタとかの店です。 主として古いアメリカ映画のポスターが装飾として飾られていました。 外のごちゃごちゃとは表情が違って雰囲気は悪くありません。


現地では当たり前なのかも知れませんが、私たちにとって意外だったのはドリンクメニューにお酒が無いことでした。 ピザにパスタがメインとはいえワインのない食事なんて考えられません。 しかしどこを見てもないのです。 まわりの座席を見回してもコーラを飲んでいる人はいるけれども、お酒はありません。


いままで食事時にお酒を飲まなかったという国が無かったものですから、少々面食らってしまいました。 また生ものには注意とガイド本に書いてありましたが、Fさんがサラダをオーダーしましたのでおそるおそる食べました。 Fさんは日本人だといってもずっとインドに居るわけですから、もうそれはインドの人と同じなわけで、我々は本当に食べても大丈夫かと疑心暗鬼でした。


私は来る前からいろいろなことがあったので、結構疲れ切っていてその疲れで胃がおかしくなっていましたから、ちょっとつまむだけにしておきました。
 

殆ど食事が終わった時間に、インド人の男のA先生がやってきました。ダンスのレッスンがあったということでここで合流ということになりました。


食事が終わって、現地で用意してくれたコンドミニアムに帰ることになりましたが、9時過ぎになっていてまたもやラッシュアワーです。 なんでも、9時まではトラックのような大型車の乗り入れが禁止されているそうで、それが解禁になる9時を境にラッシュがあるそうなのです。 ということで結構時間が掛かってしまいました。


デリーから近いところにそのコンドミニアムがあると聞いていたのですが、イヤー結構距離がありました。渋滞部分を抜けてから、100キロくらいで走って30分以上は掛かったと思います。 Greater Noidaというところにありました。 住まいの多くは塀で囲まれていて、門番が出入りをチェックしています。 ここも5棟くらい建物があって、その建物の階段口のところにも警備の人間がいました。


イギリス式に1階はグランドフロアーでエレベーター表示は0階です。 我々の部屋は5階でした。 エレベーターに乗ってびっくりしたのは、蚊が息もできないほどに飛び回っているということでした。 刺す蚊なのかどうか分かりませんが、とにかく不気味。 まあ、でも室内は素敵でした。 ベープマットのような蚊取り器もありましたので、大量の蚊にうなされるというようなことは避けられました。3ベッドルームとリビング、ダインニング、それとキッチンがありました。 

P1000824.JPG
<これがリビングとダイニングです>


P1000761.JPG
<ベッドルームのひとつです>


Nさんの説明では、住み込みの男性のサーバントがいて、朝食は彼が作ってくれるというのです。 パートナーがインドで暮らしたときは、家の中に自分を世話してくれる子守(アヤ)、料理人、門番、運転手が居たそうです。 あまり裕福ではない国情では一種のワークシェアリングなのでしょうか? もちろん長年続いたカースト制度というものの影響もあるのでしょう。 慣れない私にはちょっとしたカルチャーショックでした。


でもよく考えてみれば、ちょっと前の日本にもお手伝いさんがいたり、書生という使い走りも居たのですから、 成長の過程ではそんな時代もあるのでしょうね。 サーバントがもうちょっと高級になると執事ということになるのでしょうか。

夜もそこそこの時間になったので、冷蔵庫にあったビールを取り出して飲んで寝ることにしました。 結構いろいろな驚きがあってなかなかダンスの話まで行き着きません。 この続きはまたの機会に。




P1000761.JPG
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。